大学生ゲイのつぶやき

理系大学院ゲイがいろいろつぶやきます。

多様性を謳い無関心な世の中

近年多様性がキーワードとして挙げられている。

マイノリティーに配慮しようと、社会全体で動いていること自体は素晴らしいと思う。

ここで、マイノリティーとは、私に関わりのある、障害者とLGBTQを挙げる。

しかし、少し気になるのは、

「好きにすればいい」

「いろんな人がいてもいい」

「ふーん、という程度。」

といった、一見分かったフリをしたような論調である。マイノリティーに無関心であるともいえる。

確かに、自分とは指向が異なることに関しては、理解できないので、そのように思う気持ちは分かる。

自分のことで精一杯だし、マイノリティーが声を上げたりニュースで取り上げられても、好きにすれば?という気持ちになるだろう。

私も働き始めれば、そんなに関心を持たないかもしれない。

しかし、このような「私は差別しませんよ、好きにしてください」という無関心な方が増えるのはあまり良くないと思う。

なぜなら、いつかは自分にとって都合の悪いことが起こるからである。

私はゲイだが、友達がゲイだったら、本当に同性愛を受け入れられるのでしょうか。多少は気持ち悪いと思わないのでしょうか。

また、世の中には障害者の方がたくさん居ますが、電車の中で奇声を上げる知的障害の方や、他人の自転車をペロペロ舐めてしまう方を、本当に「好きにすればいい」といって突き放すことが出来るのでしょうか。

自分にとって見たくないもの、されたくないものは避けることが出来るにも関わらず、インターネットを通して莫大な情報を得て、マイノリティーをはじめ社会を理解した気になってしまうのは良くないと思う。

良くないというか、寂しい。

無関心でいるよりも、実際にマイノリティーが側にいることを認識し、時にはぶつかりながらも理解してゆくことが必要ではないだろうか。

マイノリティーを腫れ物扱いし、都合の悪いことは避けて、避けて、避けて、好きにすれば?というのは、あまりにも寂しい社会だと思う。