完璧主義の葛藤
私はなんでもかんでも完璧にやろうとして、結局行動しない、という癖が年々高まってきている。
あれも、これも、それも、出来なければいけない、と、強迫観念に駆られて、頭がいっぱいいっぱいになる。これが理解できない自分はダメだ、と、自己嫌悪にも陥る。
少しずつ、理解していけばいいのに一気にやろうとしてしまう。
考えて見れば、この社会は人と人とが協力することにより、より良い仕事が出来るのは自明である。
何でも出来る人、何でもこなす人、というのも不得意なことがあるし、全部できたからといって、それが発揮できる場面が豊富だとは限らない。
完璧主義を今すぐ捨てろ。
行動しよう。
自分で選択しているのか
私はつい人に流されがちである。
自分の選択に自信を持って、自分の軸を持って、自分の責任で物事を決める人は凄いし、私もそうなりたい。
なぜ自分で選択できないのか。
自分に自信がないから、周りの目を気にするから、という理由が考えられる。
では、なぜ周りの目を気にするのか。
それは、自分中心だからだ。
もっと、周囲に目を向け、本当に人のために動ける人になろう。少しずつ。
心地よい風
5月、心地よい風が部屋を通ってゆく。
自分の将来、研究など、いろんな焦りを抱えている中で、心地良すぎる気候がかえって気味悪いように感じる。自分が存在していいのだ、と肯定的にさせてくれる気もする。
この豊かな環境、平和すぎる環境を楽しめない自分はどうかしているのか?
この何とも言えない気持ちよさは、怠惰な自分を慰めているようにも、嘲笑っているようにも感じる。
意味わからないことを書いたが、要するに風が心地よい。
生きる気力、苦楽
大学生・大学院生という立場は、高校の時よりは社会人の方と関わる機会は増えるので、社会と関わることになり、大人の事情というのもわかってくるような気がする。
しかし、まだアルバイトでしかお金を稼ぐことはしていないので、本当の生きづらさはまだ分からない。
学生のうちに本来やった方がよいことはたくさんあるのだろう。
でもどうしても楽をしてしまう。
楽というのは、怠惰であり、自分で判断しないということであり、湧き上がる理性的な感情を押し殺して嫌々物事に取り組むことでもあると思う。
書いていて思ったが、それは苦じゃないか?
でも、流れに身を任せることより楽なことはない。
別に正解不正解があるわけではないのだが。。。
新聞コラムの書写を続けている
もう約40日、日経新聞のコラム「春秋」の書写を継続している。※正確に言うと1日飛ばしてしまった
これが何の役に立つのか分からないが、毎日の習慣が出来た。
ノート見開き1ページ分、約15分かかるが、この時間をポルノやくだらない動画を見て過ごすよりもよい。何より私は書くことが好きなのだ。
紙にペンが食い込み、一画一画、一字一字を丹念に書くことで、日頃考えている余計なことがすーっと頭から離れる感じがする。
死ぬまで、この習慣を継続したい。
不必要なものはないがポルノはダメ
またポルノに時間を費やしてしまった。
生きていく上で無駄なものはないと信じるが、ポルノだけはやはりどうかんがえても生活に悪影響である。
その瞬間だけ気持ちよくなること、中毒性を生むものは一刻も早くやめるべきである。
まず、今日1日、絶対にポルノは見ないこと。
誓います。